大阪の葬儀社「セレモニー寂光」が運営する葬祭に関するブログです。

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他社が施行している葬儀にいくと・・・
私が信心している本門佛立宗の同じお寺の御信者がお亡くなりになられ、ご自宅の近くの斎場に隣接されている式場でお通夜が行われた。そのお通夜に弔問させていただいたのであるが、どうも気になる、献茶といわれるセレモニーレディの所作振る舞い。無駄な動きが多すぎるため目に付きすぎ逆に目障りだった。その苛立ちの中、御導師が入場され、女性の司会者がマイクを通して話し出したのであるが、確かに女性の司会者独特の綺麗なしゃべりではあるが、マイクの音量が大きすぎるその上、高音が聞きすぎているためもともと、地声が高音のため耳に残る、心地よい残り方ではなく耳障りだった。そして御導師のマイクが離れすぎていたため御導師の声を拾いきれていない、拾いきれていないから、音量を上げて拾うおうとするがハウリングを起してしまう。御導師の前に設置してあるマイクを見ても集音マイクではないため、音を拾いにくいのはわかるが、事前に考えておくべきであろう。
そしてとどめが、セレモニーレディと司会者が設置した焼香机である。「焼香所」とかかれている幕の引張りが弱くたるみきっている。どうもそれが目に付く。そのスタッフを呼び出し注意するべきかどうか本当に考えたが、止めておいた。人の振り見てだと思ったからだ。
でも本当にいい勉強になる。自分たちのスタッフはこうでありたくないともっと質の高い葬儀社でありたいし、スタッフでありたい。
職業病というか、お通夜や葬儀にいってもどうしてもそういうところが目に付いてしまうのは自分の嫌なところだと思っている。でも同じ職種であり葬儀という最後のセレモニーに携わるものとしては、そういう中途半端な仕事はどうも許せない。
今日も故人への追悼の気持ちを忘れず御導師や他の御信者と御題目を送り続けていたのだが、御導師が退席されてまもなく早々に失礼した。あまりにも腹立たしすぎて・・・

考えられないんですけど・・・
数日前のこと。
これもある葬儀社に司会で呼ばれてお手伝いに行かせていただいたのですが、そのときのことです。
その日は、葬儀が1件とお通夜が1件ありました。
お通夜の喪家様より先に依頼があったのですが友引のため日延べをされていました、その後にその日、お葬儀の喪家様よりの依頼があったみたいです。
ただ、その葬儀社の会館は1日1件しかできないのですが、お葬儀が終わった後のお通夜はできるようになっています。ただ、葬儀の時間によってはお通夜の喪家様にかなりのご迷惑をおかけすることになります。
その日も葬儀の時間が1時半から2時半の葬儀、お骨上げが5時頃、そのまま墓地に納骨に行かれて式場にお戻りになるのが6時半、それから初七日の法要、そのあたりの地域の慣習で全て終了後に精進揚げになるのですが、どう計算しても終わるのが8時越えてしまいます。
お通夜は7時から大体終了するのが8時前その時点でその喪家様は控室の方に上がられるのですが先の喪家様がいらっしゃるため式場にてお待ちいただくことになります。
その説明を両家にさせていただいて最初の喪家様には早めに切り上げていただく、あとの喪家様には控室をお使いいただくのが遅れるということを承諾してもらっていればいいのですが、それもその日のお昼前後に社長が説明をさせていただきにいったみたいですが・・・
結局、予想通りに時間的にかなりかぶってしまい後の喪家様はご立腹。
その上、お通夜の喪家様は香典・樒共に辞退のため供花60本、盛篭40個とかなりの量の注文がはいりましたがその葬儀社は盛篭は別として供花は自社で用意するためお通夜までに品物は間に合わせることができたのですが、供花札と盛篭札が全く間に合わない状態。当然、ご注文いただいた方からはどうなってるのかと店側にも喪主様にも問合せ、当然喪主様からは店側にどうなってるのか?との問合せ店側も締め切り時間を決めずに注文は全て受けるよな状態いくでも間に合わなくなってきます。そういう状態でなんとか葬儀は終えたものの、当然そのまま終わるわけもなく喪主様から店側にクレームがはいりました。そのときの社長の対応に驚き・・・
「わざわざ1日延ばしてまでお通夜してるのに、夕方の5時や6時に注文されても間に合うわけないやん!そんなもんもっと早い段階で注文してくれな!」
それを側で聞いていたスタッフみんながびっくり!
どうおもいます?
店側がお通夜に間に合わせるためには締め切り時間を申し伝え、それ以降の申し込みは翌日の葬儀に間に合わせるようにするということを伝えておくと喪主様も納得されたことだろうが、それを申し伝えていなかったため今回のような問題がおこりました。
その上、素直に謝ればいいのに完全に喪家様の責任あきれてものがいえません。
確かに注文が入れば入るほど利益はあがりますがそれでクレームを出してしまったら元も子もないですよね。
ほんと考えられません・・・

葬儀社自身ももっと勉強をするべきでしょう?
一昨日、そして昨日と某葬儀社の仕事で司会で呼ばれお世話になった。
その時の話になるのだが、喪家様の御宗派は、「浄土真宗の本願寺派」だった。
お通夜は、19時から。当然20〜30分くらい前になると通夜の法要をお勤めいただく僧侶がお越しになる。(時間になってもお越しにならない方もいらっしゃいますが・・・)
その日も25分前にお越しになられた。エレベーターから降りてこられた僧侶はそのまま祭壇前(御宗旨では「荘厳」といわれるらしいが)向かわれ、その前で女性スタッフに何かを言われている。何を言われてるのだろうと側によると私に言われたのは、
「御名号(南無阿弥陀仏)が全然みえてないじゃないか!」
「はい」
「はい!じゃなくて御名号が見えてないとお通夜もできないし葬儀もできないよ」
「存じ上げてますよ。ですから正面に三つ折りのご本尊を置かせていただいたんですが?それじゃご納得いただけませんか?」
「・・・いかんとは言わんがこれじゃなくて本物の御名号が見えているのが一番だから、今日のところは我慢するがこれからは考えてもらいたい」
「申し伝えます」との一幕があった。
確かに、お通夜の式場に行った際に私自身も御名号が全然見えていないと思い、三つ折のご本尊を置かせていただいたのであるが・・・
その後、お通夜の打ち合わせに控室にうかがったところ、
「失礼いたします。本日のお通夜の差定をお願いしたいのですが?」
「入場して開式は、これより・・・・・のお通夜を浄土真宗本願寺派・・寺住職に御導師をいただき法要式にのっとり執り行います。そのあと御導師にあわされて合掌・礼拝・御念仏と案内してもらい。あなたもマイクでお念仏を唱えてください」
「開式の案内は、そのとおりではないといけませんか?こういう言い回しでもかまいませんか?これより、故○○○○様通夜法要を執り行います。皆様にはしばらく故人を御偲びいただき、正面御名号にむかい御導師にあわされ合掌礼拝御念仏をいただきます。でかまいませんか?」
「かまいませんよ」
「それと申し訳ありませんが、マイクでお念仏を唱えるのは私個人としてできませんのでお許し下さい」
「?????」
「御親族のお焼香はどうさせていただきましょう?」
「どちらでもかまわないよ」
「どちらにいたしましょう?この御宗旨の教えではお通夜の際には焼香をせず参列者は御導師とご一緒に正信偈を唱えるものだとお伺いしておりますが?」
「それじゃ無しにしたら?でも明日これない人もいるよ?」
「その御親族様には法要終了後にしていただくようにご説明させていただきますが?」
「それじゃ後の人の焼香は正信偈の五劫思惟・・・からで」
「かしこまりました。ご挨拶はどういたしましょう?このあたりは終わってからではなくて法要の途中でさせていただくものですから、読経中にマイクでしゃべられるとお耳ざわりでしょう?」
「耳障りやな」
「でしたら、一度読経をとめていただけませんか?失礼ですが正信偈までは、三奉請ですか?」
「そうだよ」
「三奉請で一度とめていただいてご挨拶をさせていただいてそのあと正信偈ということではいかがでしょうか?」
「う〜ん?もう流れの中でやってくれていいよ。」
「かしこまりました。御文章と御法話はいかがでしょうか?」
「御文章はするし、法話は3分くらいかな」
「かしこまりました。それではよろしくおねがいいたします」
というふうに打ち合わせも終わり、お通夜も終わり、同じような形で葬儀も終わった。

結局、何が言いたいのかというと葬儀社はもっと勉強をしないといけないということ(自分もまだまだ勉強はたりませんが)
今回のことだけではなく宗派に関してもそうであるし、サービス業としての喪家様に対してもそうである。
確かに今回のように、御名号を見せようと思うと白木の祭壇によっては棺前といわれる道具をはずさないといけない。これをはずすことでその祭壇自体の迫力もなく、みすぼらしいものに見えるし、祭壇費用もさがるだろう。
しかし、メインは何になるのか?をもう少し考えると対応は変わってくるのではないだろうか?
これは私個人の考え方であるが、ひとつの葬儀に対し、やはりメインは故人であると思う生を受けてから亡くなるまで、最期のセレモニーである。その人がいるから自分たちがいるのだから。そして、次にその方を浄土へと導いていただくための僧侶じゃないかと思う。御浄土に導くためには宗派ごとの考え方も違うだろうし、必要とされるものも違うだろうし、葬儀社も各宗派の教えや考え方や必要とされるものなど勉強しておくべきだろうし、喪家様は、ほとんどがそういうことがわからないと思う。そこからでも必要なもの不必要なものは、はっきりといえる勇気も必要かと思う。
僧侶自身にも威厳を持ってもらいたいものである。最近は、「葬式坊主」とよばれる僧侶が多くいらっしゃる。そのお陰で私を含めた葬儀社は助かっているのも現実であるが、でも何でも施主様、葬儀社のおっしゃるとおりではなく、「自分の宗派はこうだから必要最低限ここだけはきっちりしてもらいたい、それができないなら二度とあなたの葬儀社が施行する葬儀には導師は取りません。」なんてくらいの気持ちを持っていただけると非常にありがたいのであるが・・・現実は・・・
だから葬儀社自身も僧侶に対しても敬いの気持ちが薄れているような気がしてならない。
最後に、ご遺族やご親族のお気持ちも大切にしないといけないだろう。
葬儀社も打ち合わせの時点でその喪主や御親族がこの葬儀の中でどの部分を一番のメインとしているかそのあたりをくみ取ることは大切である。
故人をメインに考えているのか?
遠方から参列していただける親族に失礼がないようにと一番に考えているのか?
それとも自治会を始めとした会社関係や参列の方をメインとして考えているのか?
そのあたりを察することができるかどうかで葬儀社としての評価も変わってくると思し、サービスの重点の置き方も変わって来る。私自身は今まで記述した全ての点を考えるように努力しながら、打ち合わせに望んでいるが、果たしてそれが全ての葬儀に生かされているかどうかは???
今だ、クレームとして上げって来てないのがせめてもの救いかな?

葬儀に携わる葬儀社の社員やスタッフのみなさ〜ん(自分も含んでますよ)日々勉強っす(^_^)

検診は定期的に行って貰いたい
昨日は、48歳の女性の葬儀だった。遺影写真を拝見すると本当に美しい女性だった。
芸能人のブロマイド?と思えるほど美しい方だった。
発症したのは2年前だったらしい「乳がん」だった。左乳房の切除で一時期は回復していたみたいだが再発。肺への転移がみられ放射線治療をつづけるも、ご主人やご子息、ご令嬢の願いも届かず、9月12日にお亡くなりになられた。
お通夜には沢山の弔問者がお見えになり故人との最後の拝顔をされみんな涙されていた。誰もがしらなかったらしい。葬儀の際に喪主様より「挨拶は代弁でお願いしたいのだが、その中で妻の病気のことは知人や友人には知らせていなかった。妻のたっての希望で心配や迷惑を掛けたくないとのことで妻がなくなって初めて病気のことを知った方がほとんどなので知らせなかったことをわびて欲しいとの希望であった」自分なりに考え書面をつくって喪主様に確認・了解を頂き挨拶させていただいた。容態は急に悪くなったみたいだった。覚悟はできていたのだろうがホスピスへ転院する手続きもとられていたみたいで後数日でホスピスに転院する予定だったらしい。
遺族に涙は見られなかった。覚悟ができていたのだろうしそれまでに充分すぎるほど泣いて来たのだろうと思う。
テレビでも最近本当によく言われるようになった。乳がん検診そして子宮頸がんの検診の大切さを若いからとか関係ないらしい20代からの検診が呼びかけられている。
このブログを読んでいただいたいる方には是非検診をお願いしたいものである

生前予約
1週間前のこと、近所に住んでいるという女性から連絡が入った
内容は「おたくの会社は、直葬はやっておられますか?」とのことでした。
「はい。お世話させていただいておりますよ?」とのことで
今日、お越しになり、色々お話をさせていただきました。
身寄りもなく、義理の姉や甥はいるが世話を掛けたくないので直葬でお願いをしたい。
以前連絡を受けた時に、その方の意志を書面(遺言書)という形で残しておく必要があるのではないか?その書面もちゃんとしたものであるに越したことはないと、お話しをさせていただいていたので
明日、公証人役場で手続きをしてくるとのことでした。
今回の方や先日の施設入所していた方や本当にこれからこういう方が多くなってくるのだろう。
一体人の一生ってなんだろう?
直葬でいいですからといわせてしまうこの寂しさはなんだんだろう80年前後人として生を受け人生を送ってきた最期が直葬って・・・
人にはそれぞれの事情があるのだから仕方がないのかもしれないが、葬儀は高いものだと思わせてしまっているのは私たち葬儀社が当然悪いと思う。
でも経済的な問題ではなく、直葬を希望するというのもあまりにも寂しすぎるような気がするのは自分だけだろうか・・・・?
人のふれあいや温かみや敬いって本当になくなってしまったんだろうか?
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